■学生時代の私はいじめられっ子でした
学生時代の私は、いじめられっこでした。唯一の友達は鉄道。ひとりぼっちの私は、時間がたっぷりあったので鉄道のイラストばかり描いていたので、自然に絵が得意になりました。高校時代、クラスで一番の人気者から「只見線に乗りに行こうよ」と、何故か地味な私を誘ってくれた。紅葉の美しい時期の只見線の旅。感動のあまり、私はイラストを鉄道雑誌に投稿し、それが掲載されました。
その友人が自分のことのように喜び、クラスの皆に私の作品を披露してくれたのです。一気に友達の輪が広がり、私の企画で仲間と汽車旅に出かけるようになりました。只見線が、私の「弱点」を「強み」に変える魔法を気づかせてくれたのです。旅行会社に入れたのも、現在、観光や鉄道プロデュース関係の仕事をさせていただいているのも只見線のおかげです。 「いつか只見線に恩返しをしたい。世界中の人々が只見線に乗りに来てもらえるような企画をしたい」大きな夢を持ちました。
■独立起業するも「金なし、モノなし、人材なし」…
旅行エージェントで18年、鉄道会社の公募社長就任した6年後、日本観光鉄道という会社を立ち上げ「地方創生ローカル鉄道プロデューサー」として起業したものの仕事の依頼などあろうはずはなく、焦る毎日。子供はまだ小さく学費などもまだまだ稼がねばならない…そんなある日、「温泉で骨休みしませんか? 」と会津柳津温泉のとある旅館の支配人からメールが来ました。柳津といえば只見線沿線の門前町。只見線が再び私に寄り添ってきたのです。
■只見線に恩返しをしたい! 運命的な出会いで願いが叶う。
実は、その旅館で、運命的な出会いをしました。旅行エージェント時代の後輩と偶然、この旅館で再会したのです。「私たち、只見線で結婚式を挙げたいので協力してくれませんか?」彼よりも八歳も若い女性も同時にペコリと頭を下げています。彼女との出会いも只見線がきっかけだといいます。
只見線が縁でカップルとなった彼らの熱い気持ちに、私は心を動かされました。当時、まだ復旧の見通しが難航していた数年前の話です。新潟福島豪雨で甚大な災害受けた只見線。彼らの想いが通じたのか、2021年に全線復旧が決定しました。それを祈念し「小出『 こい(恋)で』~ 会津若松『 あい(愛)づ』をご縁で結ぼう!」というストーリー性をコンセプトに『まち』や『人』を只見線が結ぶ、県内JR初の「ブライダルトレイン」を企画することにしました。
「ブライダルトレインか!縁むすびで只見線をつなぐ復興応援列車の想いを込めて走らせよう!」。
しかし、金も仲間もいない私に何が出来るのか?・・・紆余曲折あった奮闘劇はまたの機会に描きたいと思います・・・
■観光と鉄道のプロが選ぶ「鉄旅オブ・ザ・イヤー2018グランプリ受賞!」
JR只見線「ブライダルトレイン企画」⇒『まち』や『人』を只見線が結ぶ、県内JR初の「ブライダルトレイン」を企画した結果、全国から大型観光バス24台・1139名の参加者が新郎新婦を祝福するツアーが実現!「地元住民、民間企業、行政」が三位一体で知恵を出し合い、地元にお金が落ちるしくみをパッケージ化させた「地元住民参加型地方創生企画」を実施。全国公募による「プレミアムブライダルトレイン」。しかも4組ものカップルが同じ列車内で挙式し1100名以上のツアー参加者が新郎新婦を祝福したツアーは全国初!ということが評価されました。観光と鉄道のプロが選ぶ鉄旅オブ・ザ・イヤー2018「グランプリ」受賞!という勲章まで頂くことができました。