■「昭和レトロな駄菓子屋」さんをまるごと出前しちゃおう!
「どうして『移動駄菓子屋』を始めたのですか?」というこことを良く聞かれます。
はじめの頃は、駅舎や電車の中に絵画のみを展示させて頂いておりました。しかし、絵心のある方には関心を示して頂けるものの、ほとんどの方(特に子供たち)そのまま素通りをされてしまいます。
そこで、駄菓子を置いたり、自宅にあった古い柱時計やダイヤル式の黒電話を展示してみると、小学生は駄菓子を目当てに、年配者は昭和レトログッズをとても懐かしがって、絵画展に足を止めてくれるようになりました。ついでに、私の絵もご覧頂ける事が出来たんですね。
「子供達の健全な育成、地域の活性化、文化・芸術の情報発信の為に」と答えれば聞こえは良いのですが、当初は、ただ単に「自分の為」にやっていました。とにかく自分の絵を見て欲しい!日本全国で個展を開きたい!そういう下心丸出しで始めたのでした(苦笑)
結果、作戦大成功! 「えっ!これ色鉛筆で描いたの!」と驚きの声を頂けるようになりました。備え付けの「感想ノート」にもびっしりコメントや励ましの声を書いてくれました。「昭和レトロな駄菓子屋を出前する」というコンセプトが珍しいのか新聞やテレビで紹介されることも多くなり、山形に住んでいる私が、東京、横浜、北陸地方の金沢の先、能登半島の端からもお声がかかるようになりました。当初は、ボランティアでやっていましたので、ガソリン代等交通費は自己負担です。自分のポケットマネーを注ぎ込みました。お金はともかく、体力勝負です。お金が無いのでホテルには泊まれません。最初は、「サラリーマンと駄菓子屋」の二足のわらじを履いていましたので、週末、会社の勤務が終了次第、行きと帰り「両夜行」で私が運転して、月曜日の早朝に帰宅。そのまま出社していました。これが一番体力的にはハードでしたが、若かったことも手伝って、その後の独立開業に向けて大きな自信に繋がったのも事実です。